blog井上博の「行雲流水」

日々新たにそして日々新たに

66歳という年を過ぎても日々あまりに成熟していない自分に出会い

驚くことが多い。公私ともどもである。

不十分であるが自分を振り返る日記は30年以上にもなり、様々な書籍も

それなりに読んでいるつもりであるが心はいっこうに成熟しない。

心の中に2歳児3歳児のような自分がいる。

毎朝安岡正篤先生や坂村真民先生そして聖書を読んだり自分なりに

いわゆる精進しているつもりであるが???

迷いの時自宅の裏に小屋がありその前におかれた桶を見ていた。

数日前までは腐敗していた水がたまっていた。

閉め方が不十分なためか桶に新しい水が一滴一滴落水していた。

その水はとても澄んでおり数日前の汚れた沈殿した水ではなかった。

それを見て自分の心のありようもこれで良いように感じた。

マンネリズムに陥りなにも入らないと水は腐敗していく。

この桶の水のように新鮮さを保つには一滴一滴でも新たな水を入れること

である。

日々新た、そして日々新た不十分でも与えられた日々を新鮮で充実した

毎日を過ごしたい。

 

やまゆりの日の集いに参加して

先月の26日に神奈川県横浜市で行われたやまゆりの日の式典に参加した。

驚愕の事件発生から3年が経過したが思い起こすたびに複雑な想いが湧き

上がってくる。

7月22日の全国施設長会議において日本協会としての決意や声明を述べ

させていただいた。

亡くなられた19名の利用者の無念さを思う時、協会会員施設で発生した

事件であること又加害者が元職員であったことの重さを私たちは決して忘

れてはいけないと思う。

今でも優生思想という考え方、匿名報道であったこと、入所施設と事件と

の関係性等私たちはこの事件から多くのものを学び次の世代に伝える義

務があると思う。岡山県や京都で研修会や集会が開催される計画が予定

されており全国に広がることを期待したい。

東京大学の福島先生がなさったように犠牲となられた19名お一人おひとり

に違った色の献花をされたような心情を学びたいと思う。

私にできることはと考えて年に一度は事件が発生した現場で黙とうさせて

いただくことにしている。その際は時間が許される限り片道1時間以上を

要するがJRの相模湖駅から徒歩でお伺いすることにしている。彼らの無念

さを体に刻むために。

集会の最後に神奈川県の職員から今後のやまゆりの再建に向けたお話が

あった。

意思決定支援を大切にしているという。その中で120名の利用者の意思は

110名が入所継続を希望され地域での生活を望まれるのは10名であるとの

こと。????

昨年度当法人と東北福祉大との調査では全く逆の結果であった。地域に

移行しての満足度は9割を超えた。ことばを発することの難しい利用者の

意思の汲み取りについて、体験の提供が必須だと思うのですが皆さんどう

思われますか?

 

利用者理解について

昨日、山形県支援スタッフ部会があり、県内から40名を超える

皆さんに集まっていただいた。私の話と「はながさホープ隊」による

知的障害や自閉性障害の疑似体験があった。ホープ隊はお母さん

や先生方が立場を超えて利用者理解を広げるため頑張っていただいてい

る。利用者をより深く理解するには客観的なアセスメントが重要であるが

私たち支援者の体験的、共感的理解が土台となる。

利用者の声にならない想いをくみ取り、利用者やご家族のつらさや悩み

や不自由さに共感する必要がある。

そのためには疑似体験は有効な一つであると思う。

話題は変わるが少し前にぎゃらりー「ららら」で愛泉会の利用者の作品

が「わくわく表現の泉展」とのタイトルで開催された。

そこには向陽園から30年を超える時間付き合ってきた利用者の作品が

多くあった。一つ一つの作品を見て、彼らの一途な思いやこころの純粋

さ、美しさ、素直さそしてエネルギーにあふれた作品に大きな感動と

気づきがあった。

私はどこを見て何十年も彼らと付き合ってきたのだろう。本当の姿を

理解していなかったのではないか?

自らを振り返る良い機会となり彼らの価値の再発見となった。

アートは彼らの強みを現す有効な方法であることを再認識した。

彼らのこころを大切にする取組につなげたい。

生命力

秋も深まり我が家の回りは初冬のたたずまいです。

私の趣味の一つは農作業で今は来年の春に向けた作付中です。

苺の苗を植えたり、玉ねぎやネギそしてにんにくを作付して

います。

野菜や稲を育てているとその生命力に驚きます。

小さな小さな種から細い芽をだし、ある時は過酷とも思える

状況の中で太陽の光を求め葉を広げ又ある時は土の中の栄養分

を求めて根を深く伸ばし成長とします。

冬には雪の下でじっと春を待つ姿に自らに照らして深く考え

させられます。人にも試練が必要で忍耐力が養われること

生命の持つ豊かな可能性、基本となる土が大事であること等々

私の現在の仕事である福祉事業の経営や団体活動にも通じるもの

があります。

植物の姿を見ながら不十分な自らの人格を磨く必要を特に感じます。

 

渋谷博夫さんを偲ぶ

山形県知的障害者福祉協会で事務局長を勤めていただいた渋谷博夫

さんのことが時々頭に浮かぶ。亡くなられてから4年を越えているのに

渋谷さんの後押しを時々感じている。

現在「ららら」で展示中の斉藤勝利さんの絵は渋谷さんが見いだされ

たものであることをつい最近知った。協会活動等を通して私も多くの人

と出会う機会があるが渋谷さんの話につながることが多い。

よく「志」という言葉を使われた。坂村真民先生の「後から来る者のために」

ではないが私たちも後世に何を残すかを考える年代となっている。

障害福祉というライフワークという仕事に出会えたことは私にとって

最高の喜びであると思う。そして渋谷さんのように死んでもなお後輩に

勇気を与えるような生き方をしたい。

さぽーと10月号について

さぽーと10月号が手元にとどき拝読した。

以前編集委員をしていたので毎月号とても興味深い。

10月号では特に嬉しい内容があった。

ひとつは風の通り道に以前岩手県カナンの園で

重要な働きをされた北村嘉勝氏のいいから!いいから!が載っている。

病床にある北村氏の渾身の文である。

もう一つはちょっといわせてに広島県のひとは福祉会理事長

寺尾文尚氏の問題提起をしっかり受け止めようを投稿いただいた。

協会活動とソーシャルワークについて建設的提案をいただいた。

本当にうれしく励まされました。ありがとうございます。

皆さんご一読を。

 

法人本部の移転について

昨日は山形市で39.0度との報道で昭和初期に40.8度以来の気温の

高さであったとのこと。利用者、職員の皆さん健康管理に十分の

ご配慮を。

さて、来月から法人本部が現在の美畑町から諏訪町一丁目2番7号

に引っ越しをいたします。愛泉会32年の歴史で3度目の移転となります。

長谷堂の地に入所施設開設のために法人が立ち上がり、地域展開ととも

に美畑町に移り、このたびは松波に開設していた障害者アートの常設展示

場「ららら」そして法人本部機能と人材育成機能の強化をねらいとして

移転することを理事会で承認いただきました。

イメージとしては長期的ビジョンを持ちながら東南村山圏域に広がる

各事業所を支える機能でありたいと思います。

このたびの移転にあたっては佐藤精肉店の佐藤社長のご支援で実現しました。

心より感謝申し上げます。

 

 

日本協会活動報告①

日本協会の会長職を拝命しほぼ2ヶ月が経過しようとしている。

新米で慣れないために迷惑をかけることも多いが与えられた期間

全力で知的障害のある利用者のためになる活動としたい。

7月2日3日の国際フォーラムでの全国施設長会議や挨拶回り、

津久井やまゆり事件発生から追悼の日として制定された「やまゆりの日」

への出席そして西日本豪雨被災地である岡山県真備町への訪問、

それから福祉新聞や日経新聞そして税理士さんの機関誌等の対談

そして社会福祉士養成課程での演習と自分にとってはハードな日程であった。

全ての活動が日本協会の協会活動とつながっているので

知的障害のある人の理解につながるようになるべく丁寧に対応したいと思っている。

法人の方ではボーダレスアート展で吉村知事にオープニングセレモニーに

おいでいただいたり、花笠パレードに利用者と一緒に参加出来たり

充実した日々を送ることができている。皆様の一層のご支援をお願いしたい。

日本協会の会長職を拝命して

先日の日本協会の理事会でこれまで6年にわたって重責を担われた

橘会長の後任として指名されました。本当に驚きの結果です。

ご指名いただいたからには皆さんのお力添えをいただいて

知的障害のある利用者の皆さんの福祉の向上に努めたいと

思います。副会長3名も一緒に活動することとなりました。

北海道の山崎千恵美さんは女性初の三役です。京都の「庵」の

樋口会長、そして三重の近藤先生と大変魅力的で楽しい皆さんと

一緒活動できて大変うれしく思います。

先日東京フォーラムで全国施設長会議が開催され2500名

の方が参加されました。そのなかで協会の重点課題として

障害者虐待の防止、長期入所の検証そしてソーシャルワークの

確立をあげました。

東京と山形の往復が多くなりますが利用者の皆さんのことを中心に

おき、常にご利用者にとっての福祉協会活動であることを

忘れずに取り組みますので今後ともご指導ご支援いただきますよう

よろしくお願いいたします。

 

 

小林元園長から学んだこと

法人の発展はおそらく自分たちの努力や発想によると考えがち

だかそうではないことをこの歳になって思う。先人たちが私たち

がやりやすく多くのことを教えていただきそして自由にやれる

環境を用意していただいたためだと思う。

小林元向陽園園長から学んだことは多い。

先生は山形市役所での仕事を終えられてから着任された。

自由で柔軟な発想を持たれ私たちにも要求された。当初は私は

園長のおっしゃることについていくのがやっとであった。

誰のために私たちの仕事があるのかを確認すること。「主人公はだれだ」

と口癖のようにお話をされた。仕事の進め方についても毎年同じではなく

常に工夫や新しい発想を求められた。宴会の場においても戦場であるといわ

れ自分の席に座る時間を短くし自分からあいさつに行き多くの人とつながる

ことを教えていただいた。又、施設長管理者として現場から離れ一定の距離

を置くことを教えていただき、大局的に全体を見るようにとの教えであった。

中小企業の社長でも現場に入りすぎると周りが見えなくなり倒産リスクが高

まるとのことであった。

そしてもっとも心に残るのが大事故への対応である。

向陽園の前の道路で重い障害のある利用者が散歩にで交通事故にあってし

まった。事故の状況からすると命を落としても不思議ではないほどの事故

であったが幸い軽いけがですんだ。

その次の朝園長に報告した時の言葉は忘れられない。向陽園では当時鍵を

かけないで対応するという方針で支援にあたっていた。

怒られるのを覚悟で報告した時、「こういう大きな事故が起こると現場は

みんな恐れて消極的になる。私たちの障害のある方を自由な環境を用意し

社会に出すという方針は間違っていないはずだ。事故があると現場が

消極的になるといけないので現場の皆を応援してやってくれ」というも

のだった。

あの言葉で愛泉会の地域での生活を推進するという実践があると思う。

今思い出して熱い想いになる。管理者としての心構えを教えられた。

先人の教えを糧として日頃の実践に当たりたい。