blog井上博の「行雲流水」

日本協会の会長職を拝命して

先日の日本協会の理事会でこれまで6年にわたって重責を担われた

橘会長の後任として指名されました。本当に驚きの結果です。

ご指名いただいたからには皆さんのお力添えをいただいて

知的障害のある利用者の皆さんの福祉の向上に努めたいと

思います。副会長3名も一緒に活動することとなりました。

北海道の山崎千恵美さんは女性初の三役です。京都の「庵」の

樋口会長、そして三重の近藤先生と大変魅力的で楽しい皆さんと

一緒活動できて大変うれしく思います。

先日東京フォーラムで全国施設長会議が開催され2500名

の方が参加されました。そのなかで協会の重点課題として

障害者虐待の防止、長期入所の検証そしてソーシャルワークの

確立をあげました。

東京と山形の往復が多くなりますが利用者の皆さんのことを中心に

おき、常にご利用者にとっての福祉協会活動であることを

忘れずに取り組みますので今後ともご指導ご支援いただきますよう

よろしくお願いいたします。

 

 

小林元園長から学んだこと

法人の発展はおそらく自分たちの努力や発想によると考えがち

だかそうではないことをこの歳になって思う。先人たちが私たち

がやりやすく多くのことを教えていただきそして自由にやれる

環境を用意していただいたためだと思う。

小林元向陽園園長から学んだことは多い。

先生は山形市役所での仕事を終えられてから着任された。

自由で柔軟な発想を持たれ私たちにも要求された。当初は私は

園長のおっしゃることについていくのがやっとであった。

誰のために私たちの仕事があるのかを確認すること。「主人公はだれだ」

と口癖のようにお話をされた。仕事の進め方についても毎年同じではなく

常に工夫や新しい発想を求められた。宴会の場においても戦場であるといわ

れ自分の席に座る時間を短くし自分からあいさつに行き多くの人とつながる

ことを教えていただいた。又、施設長管理者として現場から離れ一定の距離

を置くことを教えていただき、大局的に全体を見るようにとの教えであった。

中小企業の社長でも現場に入りすぎると周りが見えなくなり倒産リスクが高

まるとのことであった。

そしてもっとも心に残るのが大事故への対応である。

向陽園の前の道路で重い障害のある利用者が散歩にで交通事故にあってし

まった。事故の状況からすると命を落としても不思議ではないほどの事故

であったが幸い軽いけがですんだ。

その次の朝園長に報告した時の言葉は忘れられない。向陽園では当時鍵を

かけないで対応するという方針で支援にあたっていた。

怒られるのを覚悟で報告した時、「こういう大きな事故が起こると現場は

みんな恐れて消極的になる。私たちの障害のある方を自由な環境を用意し

社会に出すという方針は間違っていないはずだ。事故があると現場が

消極的になるといけないので現場の皆を応援してやってくれ」というも

のだった。

あの言葉で愛泉会の地域での生活を推進するという実践があると思う。

今思い出して熱い想いになる。管理者としての心構えを教えられた。

先人の教えを糧として日頃の実践に当たりたい。

高橋元理事長について

愛泉会の礎をつくっていただいた高橋一雄理事長

のことを時々思い出して勇気をいただく。

向陽園設立時建設予定地で反対にあい本沢地区をまとめる

中心的な役割を果たしていただいたと聞く。

比較的高齢で理事長となり重責を担われた。

口数の大変少ない方であったが時折発せられる言葉は

とても暖かく私たちスタッフの背中を押していただいた。

県内で法人としては初めて当時反対の多かった障害者自立支援

法への新体系移行を決めたのも理事長の一言だった。

「園長、よく考えて決めたら踏み出してみたら」

の一言だった。退任されるときも「向陽園のことは全く心配していない」

みんな熱心だから大丈夫」との言葉を残していただいた。

私のこんな恥ずかしい想い出もある。

ある時園長室で二人で話をしている時だった。

私が「向陽園の利用者は障害の重い人が多く言葉もないのでなにを

想っているかわからない」と発言した時だった。

きりっとした表情と言葉で「園長それは違う。自分は長年稲やぶどうを

育てているが作物の気持ちはわかるよ」「あなたのお世話しているひとは

人間だろう。わからないはずはない」との言葉であった。

本当にその通りであった。長年の経験でマンネリ化し傲慢になっていた私

の目を覚ましてくれた。

多くの先人の働きがあって現在の法人があることを再確認したい。

 

初代理事長について

愛泉会の歴史を振り返るとき法人の発展に寄与された先人について

投稿してみたい。

初代理事長である伊藤泉さんは障害のある利用者の親であり

長く山形市の手をつなぐ親の会の会長を務められていた。

私が初めてお会いしたのは私が学生時代に職場実習で山形市役所

にお邪魔した時であった。当時の山交ランドで(今のリナワールド)で

息子さんの引率をしたことだった。その後私の初めての勤務先である

山形県立総合コロニー希望ヶ丘ひめゆり寮」でご子息の担当となった。

大変エネルギッシュな方でなんとか山形市内に入所施設をつくりたい

とのことだった。その時から6年ほど経過した時、長年の夢が実現する

といって声をかけていいただいた。その時に建設予定地で建設反対に

あい苦悩されていた。「神様仏様にいちばん近いこの子たちの施設を

つくってダメだといわれる」と私の前で泣かれるのであった。

その時何とか力になりたいとおもい県の事業団をやめて向陽園

におせわになることとなった。その後大病をされてあのエネルギー

は影をひそめてしまわれたが知的障害のある利用者のために社会運動家

として走り続けた一生だったと思う。残念ながら2004年に逝去された。

愛泉会の創始者であり私の職業人生を変えてくださった方である。

「愛泉会」障害のある利用者への愛があふれ続ける法人でありたい。

 

 

新年度にあたって

今年の山形は例年にない大雪でしたが今は桜の花も咲き始め

待ち遠しかった春を迎えています。

愛泉会は11名が新しいスタッフとして加わり

新年度をスタートしました。2日に辞令交付そして3日4日

に全体会を開催しました。今年度の方針を共有するためです。

近年の愛泉会の使命は「東南村山福祉圏域において障害のある

利用者が生まれ育った地域で普通に生活ができるように必要な

社会資源を創出しながら利用者の自己実現と社会参加そして

誰もが住みやすい地域社会づくりに貢献することである。」と

書かせていただきました。

年度方針として6点あげました。

1.ソーシャルワークの実践

2.サービスの質の向上

3.財務体質の強化

4.働きやすい職場づくり

5.人材確保と育成

6.安心安全の確保

新しい取組として山形市片谷地と中山町にグループ

ホームを天童で地域活動支援センターが新たな事業として

始まります。2つのホーム開設で32年前に向陽園に入所い

ただいた方が全員グループホームに移行することになりました。

今年も障害のある利用者の地域生活と社会参加実現のため

努力して参りたいと思います。ご支援ご協力よろしくお願い申し

上げます。

社会資源とは

またまたブログが更新できず反省しています。時々まだですか?の

お問い合わせをいただきます。少し気楽に書いてみます。

先月16日には心音の研修会そして23日には東北福祉大学の都築

光一先生と菅原先生そして学生さんが地域移行の調査の報告会を

していたたきました。二つの研修会で私が最も関心したのは障害の

ある利用者の地域生活や余暇活動を支えていただいている地域の

皆さんの多様な力です。特にグループホームの世話人さんは感心

しました。4人の利用者が住むグループホームで食事作りを中心に

働いていただいているのですが、利用者の一人一人の話を余裕を

もって聞いてあげたいとのことです。人生経験豊かな世話人さん

やヘルパーが最も重要な社会資源であることに気づかされました。

そして都築先生からは地域資源を発見・開拓・活用する地域コーデ

ィネーターの大切さを教えていただきました。

障害福祉という枠にとらわれず地域に住む一人の人としての視点と

地域で生活する利用者を支える人のつながりをつくることがソーシャル

ワーク実践の要であることを再認識しました。

親の想い

先日愛泉会の創設に関わられたご家族にお会いした。

愛泉会は伊藤泉さんを中心に知的障害のある親が中心となって

立ち上げられた社会福祉法人である。その構成メンバーのお一人

でもある。

当時山形市内に知的に重度の人が利用できる入所施設はなく多くの

人たちが遠く離れた県内外の施設の利用であった。

現在、息子さんは置賜地方の施設に入所され30年を経過しているという。

ご自身も高齢となり片道80㎞を越える距離では面会も大変な様子だった。

ご自身がこれまで面会行くたびに書いてこられた面会記録を見せていた

だいた。面会の回数は900回超えるという。一回一回のご子息の様子や

担当者等の記述が丁寧になされていた。面会のついでに

置賜地方の観光地を訪ねたこともなく毎回がとんぼ返りの面会という。

「一分一秒でも子供のところにいたい」からとのお返事だった。

わが子の幸せを願わない親はいない。

現在の障害のある人の福祉は身近なところで自立した生活が目標

である。

愛泉会の実践を通して親の想い利用者の想いを可能な限り実現したい。

国立ハンセン病資料館を訪ねて

11月3日に5年ぶりに東京都清瀬市にある国立ハンセン病資料館に

お伺いした。様々な医療施設が点在する広大な敷地に資料館はある。

東京都の医療関係者にとって必ず訪れる場所となっているという。

このたびの訪問でも「らい予防法」によって多くの患者さんが差別され

隔離され、強制労働を強いられ命をうしなった方が多くいらっしゃった

ことに驚く。

社会の対応については知的障害者の方たちが歩まれた道と共通点が多い。

隔離、故郷を離れた療養所、大規模コロニーでの生活、家族の無理心中。

彼らの意思とは無関係に社会の在りようによって振り回され続けた歴史

である。ハンセン病の皆さんの生活が国の法律によって大きく変わった

ように知的障害のある人たちの生活も変わるように国の介入を期待したい。

本人の意思とは別に故郷を離れ遠くで暮らす姿が重なった。

帰りにかつて厳しい隔離の地であった全生園でお祭りが開かれていた。

かつて園の中に強制的な生活を送っていた方々が人生を謳歌するように

祭を楽しんでおられた。そんな姿が知的障害の多くの方々にも訪れること

を願いたい。

障がい者福祉ソーシャルワークについて

先週東京の国際フォーラムで日本知的障害者福祉協会で実施している

社会福祉士養成課程のスクーリングで相談援助演習を担当した。

18名の受講生とともに3日間の演習を共にした。18名は他の養成所と

異なり圧倒的に知的障害者へのサービスを提供する事業所に

所属しているスタッフであった。

私は障害のある利用者が地域で生活する基盤をつくっていくには制度が

充実することとそのサービスを有効に活用するソーシャルワーカーや

社会福祉士の存在が不可欠であると思っている。

実習に行った学生の報告や現場の実践記録を見る限り知的障害者福祉

の現場は問題山積の状況にあるように思う。

現場の状況を聞くと決して利用者本位とは言い難い様子がうかがえる。

知的障害のある利用者は自ら反論することは難しく、精神障害や身体

障害の方に比較すると圧倒的に厳しい状況にある。

これまでの歴史を振り返っても本人よりも圧倒的に親や支援者そして社会の

側からの主張にに振り回されている感がある。知的障害者福祉に携わる

スタッフは権利擁護の意識を常に持ち自分自身の自己覚知が絶対条件である。

知的障害者福祉協会の活動を通して知的障害者の福祉分野でソーシャルワーク

の専門性の確立が必要であることを実感した。

日々の研さんを重ね、利用者の地域で住む権利や働き活動する権利の実現に

貢献したい。

 

 

意思決定支援ガイドブックについて

このたび日本知的障害者福祉協会から意思決定支援ガイドブックが

発刊された。これまで意思決定支援特別委員会で議論してきたことが

形になり皆様に手に取っていただけることを大変うれしく思います。

私たちの知的障害福祉現場で聞かれる最も多いスタッフのやり取りは

「Aさんは何を求めているのかな?」「Bさんの行動はなにをあらわし

ているのだろう?」「Cさんはあの時はこうだったので今はきっとこ

う思っているのでないかな?」「Dさんのあの表情はきっと寂しいんで

ないかな?」「Eさんきっとあの人が苦手でイライラしているのかな?」

「Fさんがおこっているのは体の調子が悪いのかな?」現場に飛び交う

スタッフの言葉は利用者の想いを探り意思決定を促す言葉がけが圧倒的です。

特に言葉で表現することができない利用者の行動や表情から想いや

要望や願いを感じ取ることが私たちの最も日常的で本質的な仕事です。

意思決定支援ガイドフックは支援者に新たな気づきをもたらして

支援現場の質があがってくれれば本当にうれしいことです。

私の願いは意思決定支援が小さな限られた関係や空間の議論にとどま

らず障害のある方が地域で自分の意思によって普通に生きることができ

るようになることです。

ソーシャルワーク実践によって彼らの可能性がさらに開かれ障害のある人に

優しい社会に変えていくようなダイナミックな取組になること願ってい

ます。 どうぞ手に取ってみていただきご意見をお寄せください。

田口委員長や小沢先生、そして事務局の三浦さんはじめ多くの皆さんのご

労苦に心より感謝申し上げたいと思います。