blog井上博の「行雲流水」

渋谷博夫さんを偲ぶ

山形県知的障害者福祉協会で事務局長を勤めていただいた渋谷博夫

さんのことが時々頭に浮かぶ。亡くなられてから4年を越えているのに

渋谷さんの後押しを時々感じている。

現在「ららら」で展示中の斉藤勝利さんの絵は渋谷さんが見いだされ

たものであることをつい最近知った。協会活動等を通して私も多くの人

と出会う機会があるが渋谷さんの話につながることが多い。

よく「志」という言葉を使われた。坂村真民先生の「後から来る者のために」

ではないが私たちも後世に何を残すかを考える年代となっている。

障害福祉というライフワークという仕事に出会えたことは私にとって

最高の喜びであると思う。そして渋谷さんのように死んでもなお後輩に

勇気を与えるような生き方をしたい。

さぽーと10月号について

さぽーと10月号が手元にとどき拝読した。

以前編集委員をしていたので毎月号とても興味深い。

10月号では特に嬉しい内容があった。

ひとつは風の通り道に以前岩手県カナンの園で

重要な働きをされた北村嘉勝氏のいいから!いいから!が載っている。

病床にある北村氏の渾身の文である。

もう一つはちょっといわせてに広島県のひとは福祉会理事長

寺尾文尚氏の問題提起をしっかり受け止めようを投稿いただいた。

協会活動とソーシャルワークについて建設的提案をいただいた。

本当にうれしく励まされました。ありがとうございます。

皆さんご一読を。

 

法人本部の移転について

昨日は山形市で39.0度との報道で昭和初期に40.8度以来の気温の

高さであったとのこと。利用者、職員の皆さん健康管理に十分の

ご配慮を。

さて、来月から法人本部が現在の美畑町から諏訪町一丁目2番7号

に引っ越しをいたします。愛泉会32年の歴史で3度目の移転となります。

長谷堂の地に入所施設開設のために法人が立ち上がり、地域展開ととも

に美畑町に移り、このたびは松波に開設していた障害者アートの常設展示

場「ららら」そして法人本部機能と人材育成機能の強化をねらいとして

移転することを理事会で承認いただきました。

イメージとしては長期的ビジョンを持ちながら東南村山圏域に広がる

各事業所を支える機能でありたいと思います。

このたびの移転にあたっては佐藤精肉店の佐藤社長のご支援で実現しました。

心より感謝申し上げます。

 

 

日本協会活動報告①

日本協会の会長職を拝命しほぼ2ヶ月が経過しようとしている。

新米で慣れないために迷惑をかけることも多いが与えられた期間

全力で知的障害のある利用者のためになる活動としたい。

7月2日3日の国際フォーラムでの全国施設長会議や挨拶回り、

津久井やまゆり事件発生から追悼の日として制定された「やまゆりの日」

への出席そして西日本豪雨被災地である岡山県真備町への訪問、

それから福祉新聞や日経新聞そして税理士さんの機関誌等の対談

そして社会福祉士養成課程での演習と自分にとってはハードな日程であった。

全ての活動が日本協会の協会活動とつながっているので

知的障害のある人の理解につながるようになるべく丁寧に対応したいと思っている。

法人の方ではボーダレスアート展で吉村知事にオープニングセレモニーに

おいでいただいたり、花笠パレードに利用者と一緒に参加出来たり

充実した日々を送ることができている。皆様の一層のご支援をお願いしたい。

日本協会の会長職を拝命して

先日の日本協会の理事会でこれまで6年にわたって重責を担われた

橘会長の後任として指名されました。本当に驚きの結果です。

ご指名いただいたからには皆さんのお力添えをいただいて

知的障害のある利用者の皆さんの福祉の向上に努めたいと

思います。副会長3名も一緒に活動することとなりました。

北海道の山崎千恵美さんは女性初の三役です。京都の「庵」の

樋口会長、そして三重の近藤先生と大変魅力的で楽しい皆さんと

一緒活動できて大変うれしく思います。

先日東京フォーラムで全国施設長会議が開催され2500名

の方が参加されました。そのなかで協会の重点課題として

障害者虐待の防止、長期入所の検証そしてソーシャルワークの

確立をあげました。

東京と山形の往復が多くなりますが利用者の皆さんのことを中心に

おき、常にご利用者にとっての福祉協会活動であることを

忘れずに取り組みますので今後ともご指導ご支援いただきますよう

よろしくお願いいたします。

 

 

小林元園長から学んだこと

法人の発展はおそらく自分たちの努力や発想によると考えがち

だかそうではないことをこの歳になって思う。先人たちが私たち

がやりやすく多くのことを教えていただきそして自由にやれる

環境を用意していただいたためだと思う。

小林元向陽園園長から学んだことは多い。

先生は山形市役所での仕事を終えられてから着任された。

自由で柔軟な発想を持たれ私たちにも要求された。当初は私は

園長のおっしゃることについていくのがやっとであった。

誰のために私たちの仕事があるのかを確認すること。「主人公はだれだ」

と口癖のようにお話をされた。仕事の進め方についても毎年同じではなく

常に工夫や新しい発想を求められた。宴会の場においても戦場であるといわ

れ自分の席に座る時間を短くし自分からあいさつに行き多くの人とつながる

ことを教えていただいた。又、施設長管理者として現場から離れ一定の距離

を置くことを教えていただき、大局的に全体を見るようにとの教えであった。

中小企業の社長でも現場に入りすぎると周りが見えなくなり倒産リスクが高

まるとのことであった。

そしてもっとも心に残るのが大事故への対応である。

向陽園の前の道路で重い障害のある利用者が散歩にで交通事故にあってし

まった。事故の状況からすると命を落としても不思議ではないほどの事故

であったが幸い軽いけがですんだ。

その次の朝園長に報告した時の言葉は忘れられない。向陽園では当時鍵を

かけないで対応するという方針で支援にあたっていた。

怒られるのを覚悟で報告した時、「こういう大きな事故が起こると現場は

みんな恐れて消極的になる。私たちの障害のある方を自由な環境を用意し

社会に出すという方針は間違っていないはずだ。事故があると現場が

消極的になるといけないので現場の皆を応援してやってくれ」というも

のだった。

あの言葉で愛泉会の地域での生活を推進するという実践があると思う。

今思い出して熱い想いになる。管理者としての心構えを教えられた。

先人の教えを糧として日頃の実践に当たりたい。

高橋元理事長について

愛泉会の礎をつくっていただいた高橋一雄理事長

のことを時々思い出して勇気をいただく。

向陽園設立時建設予定地で反対にあい本沢地区をまとめる

中心的な役割を果たしていただいたと聞く。

比較的高齢で理事長となり重責を担われた。

口数の大変少ない方であったが時折発せられる言葉は

とても暖かく私たちスタッフの背中を押していただいた。

県内で法人としては初めて当時反対の多かった障害者自立支援

法への新体系移行を決めたのも理事長の一言だった。

「園長、よく考えて決めたら踏み出してみたら」

の一言だった。退任されるときも「向陽園のことは全く心配していない」

みんな熱心だから大丈夫」との言葉を残していただいた。

私のこんな恥ずかしい想い出もある。

ある時園長室で二人で話をしている時だった。

私が「向陽園の利用者は障害の重い人が多く言葉もないのでなにを

想っているかわからない」と発言した時だった。

きりっとした表情と言葉で「園長それは違う。自分は長年稲やぶどうを

育てているが作物の気持ちはわかるよ」「あなたのお世話しているひとは

人間だろう。わからないはずはない」との言葉であった。

本当にその通りであった。長年の経験でマンネリ化し傲慢になっていた私

の目を覚ましてくれた。

多くの先人の働きがあって現在の法人があることを再確認したい。

 

初代理事長について

愛泉会の歴史を振り返るとき法人の発展に寄与された先人について

投稿してみたい。

初代理事長である伊藤泉さんは障害のある利用者の親であり

長く山形市の手をつなぐ親の会の会長を務められていた。

私が初めてお会いしたのは私が学生時代に職場実習で山形市役所

にお邪魔した時であった。当時の山交ランドで(今のリナワールド)で

息子さんの引率をしたことだった。その後私の初めての勤務先である

山形県立総合コロニー希望ヶ丘ひめゆり寮」でご子息の担当となった。

大変エネルギッシュな方でなんとか山形市内に入所施設をつくりたい

とのことだった。その時から6年ほど経過した時、長年の夢が実現する

といって声をかけていいただいた。その時に建設予定地で建設反対に

あい苦悩されていた。「神様仏様にいちばん近いこの子たちの施設を

つくってダメだといわれる」と私の前で泣かれるのであった。

その時何とか力になりたいとおもい県の事業団をやめて向陽園

におせわになることとなった。その後大病をされてあのエネルギー

は影をひそめてしまわれたが知的障害のある利用者のために社会運動家

として走り続けた一生だったと思う。残念ながら2004年に逝去された。

愛泉会の創始者であり私の職業人生を変えてくださった方である。

「愛泉会」障害のある利用者への愛があふれ続ける法人でありたい。

 

 

新年度にあたって

今年の山形は例年にない大雪でしたが今は桜の花も咲き始め

待ち遠しかった春を迎えています。

愛泉会は11名が新しいスタッフとして加わり

新年度をスタートしました。2日に辞令交付そして3日4日

に全体会を開催しました。今年度の方針を共有するためです。

近年の愛泉会の使命は「東南村山福祉圏域において障害のある

利用者が生まれ育った地域で普通に生活ができるように必要な

社会資源を創出しながら利用者の自己実現と社会参加そして

誰もが住みやすい地域社会づくりに貢献することである。」と

書かせていただきました。

年度方針として6点あげました。

1.ソーシャルワークの実践

2.サービスの質の向上

3.財務体質の強化

4.働きやすい職場づくり

5.人材確保と育成

6.安心安全の確保

新しい取組として山形市片谷地と中山町にグループ

ホームを天童で地域活動支援センターが新たな事業として

始まります。2つのホーム開設で32年前に向陽園に入所い

ただいた方が全員グループホームに移行することになりました。

今年も障害のある利用者の地域生活と社会参加実現のため

努力して参りたいと思います。ご支援ご協力よろしくお願い申し

上げます。

社会資源とは

またまたブログが更新できず反省しています。時々まだですか?の

お問い合わせをいただきます。少し気楽に書いてみます。

先月16日には心音の研修会そして23日には東北福祉大学の都築

光一先生と菅原先生そして学生さんが地域移行の調査の報告会を

していたたきました。二つの研修会で私が最も関心したのは障害の

ある利用者の地域生活や余暇活動を支えていただいている地域の

皆さんの多様な力です。特にグループホームの世話人さんは感心

しました。4人の利用者が住むグループホームで食事作りを中心に

働いていただいているのですが、利用者の一人一人の話を余裕を

もって聞いてあげたいとのことです。人生経験豊かな世話人さん

やヘルパーが最も重要な社会資源であることに気づかされました。

そして都築先生からは地域資源を発見・開拓・活用する地域コーデ

ィネーターの大切さを教えていただきました。

障害福祉という枠にとらわれず地域に住む一人の人としての視点と

地域で生活する利用者を支える人のつながりをつくることがソーシャル

ワーク実践の要であることを再認識しました。